わたしは、悲しい。
町開発で近所の本屋さんがつい先日無くなりました。だからわたしはまだ、又吉直樹著 "火花" を読んでいない。仕方がないので図書館に"火花" があるか問い合わせてみる。
「先日、又吉さんは賞をお取りになられたので、ただいま "火花" の予約数が、都内では2000件あり、区内では60件を超えます。」
と、電話口に立った男性の司書さんがわたしに言う。
”ガーン!” ショックの鉦の音(ね)。聞こえたかと思えば頭上と、目の周りに冥暗(めいあん)が点描(てんびょう)のようになって張り付いた。
その瞬間。壁にかかっているジョルジュ・スーラの踊る道化が嘲笑しているみたいに見えた。
わたしは、”どんだけ待つのよ?” と、脳裏で呟く。
つらつらと、囁くように話す司書さんの声。
晴天の猛暑の中から帰宅したばかりのわたしは、その声を聞いていると眠くなってくる。
なんせ、男性の割に細い声で話すものだから瞼が重くなってきて閉じてしまうのだ。
「そうですねえ。お一人さまが借りられる期間が最大で三週間ですので、待機時期をざっと計算してみるとーー」
囁くように話す細い声がしたかと思えばその手元の受話器から、パチパチと計算機のボタンを弾くような音がよく聞こえてくる。わたしは目を瞑っているせいだろう。わたしの耳骨は過敏になって、受話器の向こうから女性の司書さんが二、三人の図書の借主と会話している話し声や、その内容、スキャン機のピッと言う甲高い音が聞こえてくる。
今、家に居るはずなのに、実際に図書館の受付前にいるみたいだ。カビ臭い古紙の匂い。汗だくのまま長椅子に横臥になりながら書籍を読むホームレスらのツンと鼻をつく体臭。それらは、エアコンがよく効いている図書館の受付ロビーに浮遊して綯い交ぜになっている。
そんなことを考えているうちに司書さんは気の遠くなるような数字をわたしに述べて、
「それでもお読みになりたい方がいらっしゃいまます。予約なさいますか?」
と、微笑を含んだかのような声で司書さんは、言う。
わたしは、”そんなに待てるか!” と、へっこんでいた感情を出っ張らせて、
「いやあ、そうですよねえ。んー、待てないです。」
と、出っ張らせた思いとは、裏腹に穏やかに返答した。
でも司書さんは一生懸命わたしに話しかけてくる。わたしは、"どうしようどうしよう" と、悩む。
「あ!」
司書さんの細い声が何かをひらめくような甲高い声になってわたしを驚かせて、同時に期待感も寄せた。
その "あ!” は、まるで頭の先から ”あ!" の一声をしゃくりあげるような音だった。
「そういえばですねえ、(文芸社の?)雑誌もありますよ。そちらなら今の所18件の待機者があり、先に申しました書籍の予約待ち期間よりも早く借りられると思います。」
と、司書さん。 "あ!" の声を聞きつけたわたしは期待感を心に躍らせていたのに、
「今の所18件の待機者がありーー」のところで、わたしの期待感はだんだんしぼんでいった。
また脳裏で "18件もかよ!” と、一声あげて”くーっ”と、うなった。が、しかし三度目の正直なのか、
「早く借りられると思います。」と、司書さんが言ったその後に「それに又吉さんだけじゃなくて他の作者の作品も掲載されています。」と、聞いた瞬間にわたしは即答で「予約をお願いします」と、司書さんに微笑の色良い返事をした。いやあ、何処からか、"この浮気者め!" と、憤怒の声が聞こえてきそうです。失敬。